清水灯子の日記

都市か、あるいは郊外に住んでいる清水ちゃんの日記。

おふざけと病気

1月12日
もう今はなくて、だから多分年末に片したんだと思う、駅にサングラスのおっさんがポーズしてその下に「chage」と書いてる広告があるから、あのチェジというのは一体なんなんやろね、誤植なんかなとジョークしたらチャゲだよ、ふざけんな叫んで同期にドンッ! と二度もどつかれた。ドンッ!

おふざけのし過ぎというの面は確かに過去から私に備わる特性の一つではあると思う。私がほんのちびたガールだった頃、ということはまだまだつい最近のことではあるのだが、道徳の授業はどのようにおふざけをするのかという時間だった。いつもの授業の流れとして、途中または最初から何かすごい嫌なことが起こる最悪の話か、時間がすっ飛んでしまって最終的に何らかを何らかの方法で(執念やら努力やら没頭やら)成し遂げました話を順繰り音読でねっとりと読ませられ、その後にあほばっかり集まった生徒たちに場面場面の意見を求めるというような方法がとられていた。思い出してみると授業の最中に正解以外の言葉を考えて発するという機会はほとんどなくて、帰りの会で「あいつが悪い」「俺は悪くない」「俺よりもお前がより更に悪い」「クズやん」という風なやり取りがあるくらいで、だから意見って何よ、今思えばそれは無限であるのだが、さっぱりわからず、うれしかったのかはしゃいでいたのか、多分そのどちらでもないと思うが、私を含めた生徒たちの受け止め方はほとんど大喜利だった。狐のお母さんが何かえらい目に逢って死んでしまうとかそれくらいの感じで手に入れた柿か林檎をオスの子供が、つまり息子が食べてさあその気持ちゆうか感想ってどうです、みたいた回があり、男子に混じってハイハイ手挙げて、「おいしい!」叫んだ瞬間みんなげたげたーっと笑い転げ、想像を絶する肯定感を得ていた、目がちかちかしてボヤヤーと高揚感を味わっていて、多分、どうよ、みたいな顔をしてクラスの筆頭おもろ男子に目配せをしていたと思う。

自分で思い出してもこう、相当嫌なこどもであるから、ものすごい目つきでにらんできたあの先生の憎しみたるや計り知れないものがある。たったの一文字落としで、つまりチェジの一つや二つで私をどついた彼女の気持ちもそれと似たようなものであるかもしれず、これは予想外のことではあるのだが、一度のおふざけで身を滅ぼすということもあるかもしれない。

 

行いが良かったか悪かったか、思い出す限りでは良いのだけども、12月最後の連休で39.2度なんていうものすごい高熱が出た。一番しんどいのが、部屋の外ではクリスマスイヴをやっていたから、世の中の人間みんな死んでしまえというか、そんなひどいことは思わないが、それくらいの気持ちだった。SASUKEに出場している土建屋のお兄ちゃんの私はファンであって、彼が難しいシーンに突入する前に「気持ちで負けたあかん!」「気持ちや気持ちィッ!」と叫ぶのなんてじーんときてしまう。テレビで応援するときなんかは、そうや、気持ちや! という気持ちでじっとしていられなくなって、寝込んでいる間もそのことをずっと思っていた。

ぐらぐらしながら週明け会社に出たあと、終業後に女医のおばちゃんにすごい勢いして鼻に細長い棒を突っ込まれ、インフルエンザが判明して年内の出社は終了した。最近行った船の人らにうつしていないかということがただ心配で、しかしともかく立っていられないのだから、そのあと二日はほとんど寝て過ごしてしまった。寒いんだか暑いんだか体があほになってしまって、一時間おきにファッキンホットで汗びっしょりか、南極か言うぐらい寒くてガタガタ震え目を覚ましていた。それに人間がなんぼでも寝られるかと言ったらそうでもないらしくて、一歩も動かれないのに、眠気だけはなくてただいらんことをつらつら考えて、それが本当に疲れた。何度目を覚ましても自分が同じ位置にいるのが気に入らなくて、だってそのことばかり考えているから、なんでこんなに時間が経っているのにどこかに移動できていないのかと猛烈に腹を立てていた。頭がおかしくなっていて、何か乗り物に乗っている気持ちでいたのかもしれない。

 

立ち上がれるようになってから真っ先にモスにフィッシュバーガーを食べに行って、部屋の片づけをして、彼氏が来たらもう年末も年始もすぐ過ぎてしまった。二人で海遊館ジンベエザメには会ってきたけれども、船には乗らなかった。サメの方で、やぁとかなんとか言って挨拶をしてくれたわけではないのだが、同じ時代にこんなに大きくてゆったりした奴がいるなんて、私たちは仲間だなという気持ちというか、好きで、喫茶店では頼んだ飲み物が美味しくゴクゴク~っとすぐ飲んで五分くらいポカーンとなって出てしまうことがほとんどのところ、水槽の前にあった背もたれのないソファに座って、一時間か二時間、もう覚えていない、彼氏と手をつないで時々話しながら、見た。

帰ってから、というか彼氏がこちらにやってきてから、ご飯を作ってやってそれをうまいうまい言うのを、そうかそうか、よしよし、むふふとやっていた。ヨドバシに行ったり、くくるでたこ焼きを食べて、大晦日も正月もお酒を飲んで、夜でも朝でもアレコレして勿論、恋人同士なんだからいいのだ、二人で眠って、私は四日から出社して、あの人は五日の夜に帰った。

 

おふざけで思い出すことがもう一つ、高校の三年生の秋よ。ハナちゃんシスターズの私たちはジャージで体育館ステージに登場の、RHCPの『Charlie』とビークルの『japanese girl』を演奏したと思う、始めるやクラスTシャツを脱いでタンクトップ、ベースと私は最後にはそれも脱いでしまった、暑いからとか、イエーイとかって、そういう気持であったのだ。誰かのおかんやおとんから焼き払えみたいなクレームがあって、ステージ横で汗を拭き拭きスプレーブシューなんかやってるとこにカンカンになった先生が来た。指導室で学年主任にごっつい怒られ、ふてくされながら事前の衣装の申告は着るでなく脱いでくんだから要らんと思ったですよ、どぼっどぼ火に油を注ぎ停学になるところを顧問の先生が、若気だから、とか、至りだから、とかそんなようなことを言って必死こいて援護して助けてくれたから、教師に恵まれたことがないと思っていたのが、そうでないこともあったということだ、リーダーでギターのハナちゃんは大学の推薦入試を狙っていて、えらいことになるところ、結局私ら戒告で済んだ。

水を差されたものの興奮がやっぱり強くて、浮足立つってこういうことかもしれないな、ジャンプするというか体が自然と持ち上がるというか、重力の問題やんなと思う、三人して教室に戻って、タピオカジュース売っとったわそんときも、当時の彼氏に「どうやった?」って。嫌な間があって、服……、とだけ返ってきて、きょろきょろしとったわ私の上から下まで見るような、もう着とるよ、脱いだった、気持ちよかったな、私が笑って、彼氏がぼたぼた涙流した。意味分らんくてほんま、バンドに感動してくれたんかなとか、ブラ見て泣くなんてよっぽど嬉しかったんか知らん、色々思って、ただやっぱり意味分からんで、全然泣き止まんからハグして、どうしたん言うて、違うんや違うんやただ泣くから、はっきりしいやと最後私がキレた。お前の体がほかの奴に見られるのが嫌やったんやと泣きながら大声で彼氏もキレて、何言われてもうっさいわと返していたと思う、もうキレていたから、うっさいわ怒鳴り返して、あーもうめちゃくちゃや。

帰っていった彼氏は何気に船のことを楽しみにしていたようで、私がチケットのことを忘れていた、ごめん、人の気持ち分かるようにならんと、あかんで。

 

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