清水灯子の日記

都市か、あるいは郊外に住んでいる清水ちゃんの日記。

小説のこと。

4月30日


小説を書いているから、というのを小説を書いている内に書いてしまうべきだった。生活の全てのエネルギーの塊がみんなそちらを向いていて、書き終えてしまうとなんともう腑抜けになってしまって、何にもできなくなってしまった。しかもそういったものを4月25日に書きつけてやろうと思っていたのに、その日も疲れてさっさと眠ってしまって、だから今書いている。
大学の先輩に誘われて書いた小説は、本当は13日だった締め切りを、私は人間の屑です等の何とか言ったお情けで一週間延ばしてもらい、更にもう一日だけということで連休前の日曜日に書き終わった。書いている間は、そのことばかりを考えてしまって、ただ一方で私はまた仕事をしなくてはならず、茹でた麺に味のついた液体をかけたものばかりを食べて部屋なんか、泥棒が入った事件現場みたいで、かろうじてアイロンをかけたシャツを羽織って、会社にへっへワタクシちゃんとしてまっせという顔をしに行っていたが、確かにある瞬間に小説書いてるよりも仕事しとるほうがなんぼマシなんだかと思った。
締め切りがあるからして書くことができるというのは一人の先輩の言だがまさにその通りという面はあって、4月が近づくまでには考えたりメモを連ねたりのんびりこいており、月をまたいでからは常に何かに怯えるような気持ちでともかくも前月の自分をどつきまわしたくて仕方なかった。最後の二週間と言えば仕事と小説でまともな生活ができなくなってしまって、雪印のミルクコーヒーをガブ飲んで一晩のうちに原稿用紙百枚書いたという大学のときの友達の逸話ばかりが思い出されて参った。同じ人間なのだからこの私にもできるはずだという気持ちはやっぱり普通にあっさりと間違いであり、あれは彼女だから成しえるのであって、プチプチとカフェイン錠剤を飲み込んで死ぬほど煙草を吸ったけれども基本的には単に死ぬだけで百枚なんか書けるはずがない。ただカフェインの力は本当に感心できるところがあって、19日の夜からは同じようになんかしら作業している友達とスカイプ通話してたけれどもぶっ倒れるみたいに寝てしまい、そのくせ頭の芯は錠剤のおかげではっきり覚醒していて、転んで何もできないのにぽかっと開いた耳の穴から二人の話だけは確かに脳に通達というか通過はしていて、誰かのおうちでしこたま飲んだ後に寝てしまったのに似て、心地が良かった。
書いている最中は宇宙一とは言わないまでも、まあいい小説なんやないのと思ってたが、今読んでみるともう何が何だか分からない。分からないがほんとは嫌なことばかりでなく書きたい部分を書くことができたことや、この書き方はまずいなと読んでいる最中に思うことができるのは大学生の時以来で、次にはもっとうまく書くことができるかもしれず、ともかく私が書く次の小説はまだ描かれていないというのは幸いかもしれず、もうめっちゃ面白い可能性があるかもしれないということで明日からまたしんどい思いしても踏ん張って生きていく。

というのを平成の内に書くことができてよかった。グッドバイ!