パチガール
12月2日
起きたときに右の心臓が痛いというのはよくあって、心臓のやつに右も左もあるんかいな(あるんよホントに)という感じではある。
自分の心臓がどの辺と違ってどこにあるかというのは自分も親も知らない事実で、大体みんな知らんまま死んでいくんではないのか。長らく左にあると思われていた心臓が、教習所の救命講習のときには真ん中だと発表されて、えっ真ん中? いやホンマやいう具合で何となくそれも正に感じられたし、小学生のときには手首や首筋の脈を指してここにも小さなハートがあんのよ的ガールがいて、それもそのときは信じていた気がする。
あの頃のあの手の嘘っていうのは、
「うちに行ったらシルバニアファミリー全部あるよ」
「えっうそうそ」
→「えっホンマにうそやん……」
みたいなすぐにバレてなじられるタイプのものとは違って、みんな何となく変な感じしてるけど嘘を暴く証拠がなくて、というかそもそもダメージがあるとか虚栄心が大いに満たされるといったものではないから、「犬も歩けば棒に当たる」に大して、いやそれは違う、そんなこと見たことがないし、犬もと言いつつ人もそう大して当たらんわ、というか棒とは何みたいな反抗をしないのと似たような感じで嘘ではなく迷信とかことわざとかそんなとらえられ方をされていて、中学生になったら全員それは脈であるという知識を得るから、今さらそんなあのさ、あのときのなんて指摘しても誰でも知っていることをわざわざ言う方がバカじゃんみたいになって、ずるい、というか汚いうそだった。
体の断面図みたいなものを眺めるとどうもこの痛い部の内部には肺があるようで、しかし心臓が痛いはあるけど肺が痛いなんてあるかしら。